長唄とは

三味線音楽の一つで、江戸時代に劇場音楽として歌舞伎とともに発展しました。
所作事では舞台に出て演奏します(出囃子)。
また下座(黒御簾)音楽の演奏も、長唄関係者がつとめています。

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一説に、

寛永(1624年〜1643年)以後、専ら江戸歌舞伎を背景として、発達して来たものです。

上方唄の一種に長唄(長歌)という物があり、地歌の中にも長唄物なるものがあり、その上方唄に対して江戸長唄と言いました。

寛永の頃の芝居は所謂歌舞伎、即ち、唄をうたって舞う事と、猿若という滑稽的な狂言を演じたもので、その役者は宛も謡いを謡うように、常に唄うたいを兼ねていました。

猿若勘三郎が、安宅丸御入船の時に幕府から金の犀を拝領して、木遣音頭の船唄をうたったというのは名高い事実で、勿論唄に巧みであったそうです。

その弟、勘五郎も同様に唄をうたった事は言うまでもなく、それ等の唄が江戸長唄の根源であるとされています。

当初は芝居では能と同様に、大皷、小鼓、笛、太鼓のみを囃子に用いて、三味線は用いませんでしたが、勘五郎の孫の杵屋喜三郎が寛永10年に芝居の囃子に三味線を用い始めて非常に高評を博したので、遂に芝居の三味線弾きを専業とするに至りました。

ここに江戸長唄はその基礎ができ、現在の日本舞踊会でも必ずと言って良いほど、長唄が曲目に入っています。

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